おしゃれ・コンプレックス

アラサーが育児とおしゃれの両立を目指す日々の記録です。

垢抜けない服を着て生きてきました

今でこそ、ファッションやメイクが大好きな私ですが、最初からそうだったわけではありません。以前は「私が着飾るなんて分不相応だ」そんな感覚を常にうっすら持って生きていました。そう思うに至ったきっかけとして、思春期の出来事が2つ思い出されます。

いつまで鏡みてんの?

中学生の頃から、私は自分の容姿について、思い悩むことが増えました。そういう年頃だったんだと思います。いろいろ気に入らないけど、その日、特に目についたのは髪。ゴワゴワと硬いクセ毛で、量が多く、変なカタチにぼわーっと広がる。どうやっても雑誌モデルのような、サラサラストレートにならない。

美容室でストレートパーマをあてれば、シャキーン!と真っ直ぐになるのは知っていましたが、恐らく親はそんな事にお金をかけさせてくれないだろう。「どうにかならないのかな…」鏡の前で髪をとかしたり、分け目を変えてみたり。そんな事を繰り返していると、そばにいた母からひとこと、

「いつまで鏡みてんの?!」

けっこうな剣幕で咎められました。恐らく、先に宿題を済ませなさいとか、忙しいから少しはお手伝いもしてとか、母が言いたいのはそういう事だったと思います。ただ、瞬間的に私が認識したのは、

「見た目を気にすると、お母さんは怒る」

でした。実際、母も父も、服装などにお金をかけるタイプではありません。それなりに着れたら良い。人間は外見より中身だ、というような。

それから、自分も親になってみて気付いたのは、子の急激な心身の変化に戸惑いを隠せない、というような心情は少なからずあったと思います。「何を色気づいて…」という事も言われました。これスゴく嫌だったなあ。私は、子どもに同じこと言わないでおこうと思います。

このあとにも、似たようなことを何度も両親から指摘され、「おしゃれすると親になにか言われる」という意識が、私のなかで育っていきました。

こんな普段着みたいなの買ってきたの?

そんなふうに、年頃なのにおしゃれを半ば諦めるクセがついてきた頃。自分で服を選んで買う、というイベントが急に訪れました。習い事の発表会で着る、よそ行きの服を買ってくるよう、母に言われたのです。

「お母さんは、仕事があるからついていけないけど、自分で好きなの選んで買ってきて」

それまでは、母が選んだ服や、親戚に譲ってもらったお下がりを従順に着ていたので、
自分ひとりで、好きな服を買っていいなんて、すごく嬉しい!嬉しいけど。でも、実際に服を買いに行く段階になって困りました。どこに行って、どんな服を買ったらいいんだろう…?

とりあえず、我が田舎で一番大きいショッピングモールに出かけていき、長い時間ウロウロして、悩んで悩んで、私が選んだのは、ボタンダウンのシャツ・ニットのベスト・チノパンでした。

なんというカジュアルファッション。でも、当時よくはいていたサドルシューズに合うと思うものを探したらそうなったんです。まあ、コーディネートとしては、あながち間違っていない気もしますが、TPOに全然あっていない。あと、女のコっぽい華やかさはない。案の定、母からは

「こんな普段着みたいなの買ってきたの?」

と呆れられました。(母はおしゃれではないが、場にふさわしいかどうかは気にする。)この出来事は、「私にはセンスがない」という意識に変換され、「どうせ顔も田舎くさいし、もうどうでもいいや」と、おしゃれに対する気持ちを更に萎えさせました。

 

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出典:FASHION PRESS
こういうデザインの靴でした。従兄弟のお下がりでしたが、これはスゴく気に入っていましたね。でも発表会は、とてもかしこまった雰囲気だったので、キレイめなワンピースなんかを買うべきだったと思います。おしゃれかどうかはTPOによるところも大きいですね。

「外見より中身」の呪縛

社会に出てからは、自分のまわりの世界が広がり、さすがに「どうでもいい」という気持ちは薄れつつありました。が、思春期に刷り込まれた感覚が、完全に消え去ることはありません。

下積みが厳しい業界に就職したので、特に20代のうちは、慣れない仕事に追われ、気持ちにも時間にも余裕がない。ていうか、こんなに仕事ができないのに、服なんて選ぶ時間があったら勉強すべきなんじゃない?

美容室に行く暇があるなら、休日出勤して挽回しろって思われてるんじゃない?

ネイルなんて塗ってたら、ちゃんと家事してるか、お義母さんが心配するんじゃない?

夫が稼いだお金で自分の服を新しく買うなんて贅沢なんじゃない?

ばっちりメイクしてるくらいなら、子どもの世話しろって思われるんじゃない?

………。

「外見より中身」という、まあ普通に考えれば概ね正しい呪縛は、けっこう強力でした。「おしゃれしたい」と「おしゃれなんてしてる場合じゃない」両方の感情がせめぎ合い、結果として、なんだか中途半端な格好をしながら、結婚・出産を経て、気付けば30代。息子が1歳を迎え、授乳服を片付けたタイミングで、はたと気づくと…

着るものがない。

正確には、ないわけじゃない。でも、自分で素敵だと思える服が全然ない! 

おしゃれ・コンプレックス

ここまで綴ってみましたが、なんとありふれたエピソードでしょうか。

きっと誰だって、多かれ少なかれ、容姿に劣等感を抱く事はある。勉強・仕事・家事・育児・その他モロモロ…。みんなそれぞれに、やるべきことに追われ、忙しい毎日を送っている。使えるお金にも限りがある。

なんだかちょっと、親のせいで…という印象を与えてしまうかもしれませんが、恨んでいるわけではありません。基本的には、私のことを最大限サポートしてくれる人たちだったし、「外見より中身」を優先した時間は、私の業務上のスキルを確実に向上させてくれました。

でも、少し立ち止まって考えてみた今。劣等感からくる、自分の内なる声を他人にかぶせて、おしゃれできない言い訳をしている場合ではない。それこそ、これは外見だけの話じゃない。私の内面における、自立心の問題ではないか?私はもう立派な大人である。アラサーである。したいことがあるなら、好きにすればいい!

母の立場になったからこそ、息子を育てるのと同時に、自分自身の心を育て直さなくてはならない。やりたいことを、自らの責任において選択し、楽しむ心を。それは息子に「人生って楽しいよ」って身を持って示すことにも繋がると思う。

おしゃれな人は多分、考えていると思います。自分が何を好きか。どうなりたいか。どう生きたいか。そのためにどうするか。

おしゃれはトレーニング

そうは言っても、まずは息子が第一優先。今しかない時間を大切にしつつ、普段からちょっとだけ意識して、おしゃれについて見聞きしたこと、考えたこと、挑戦したこと、あれやこれやを、ごちゃごちゃと記録していこうと思います。

中学生のとき服選びに失敗したのは、ただやったことがなかったから。今の私から当時の自分に伝えたいことです。おしゃれの自立歩行を目指して、日々トレーニング!

 

コンプレックス(英:complex)
複雑に関連していること。複合的であること。複合体。

 

本来は「コンプレックス=劣等感」というわけではないらしいですね。