おしゃれ・コンプレックス

アラサーが育児とおしゃれの両立を目指す日々の記録です。

おしゃれになれる服の断捨離ルール

「これからは、もっとおしゃれして生きていこう」と決意して、まずやったのは服の断捨離でした。なんだかダサい気がするけど、妥協して着る…という状態をまずやめよう
私は、スイッチさえ入れば行動が早い!(逆にスイッチ入るまでが遅すぎるんですけれども。)

 

ダサいの基準

カンタンに断捨離と言っても、何となく取り掛かると判断に迷いがでて、思い切った処分ができなかったり、時間ばかりかかって終わらないという事態に…。そこで、具体的にどういう服を手放すかの基準を持つのが大切だなと思います。私が決めた基準は以下の4点です。

・安っぽい服

・流行遅れの服
・似合わなくなった服
・ライフスタイルに合っていない服

 

f:id:wapico:20210310031102j:plainPhoto by Priscilla Du Preez on Unsplash

 

安っぽい服

実際の価格が安いという意味ではありません。私のワードローブの大半はプチプラ服なので、安いのがダメとなると何も残りません(笑)

そうではなく、例えば
・生地が、いかにも安い化繊っぽい質感
・金具やボタンなど、細部のクオリティが低い
・首まわりのあき方が中途半端

など、価格なりの見え方だな…と感じるものは手放しました。残ったのは、ごくベーシックなデザインの服ばかり。装飾的な要素は、価格感が現れやすいという事だと思います。

 

流行遅れの服 

あの頃、こういうの流行ってたなというアイテムは、旬を過ぎると急激に古めかしく見えます。

・トレンカ
・ひざ上丈のフレアスカート
・短めのガウチョパンツ
・股上の浅いデニムパンツ

などなど、懐かしい品がクローゼットの奥から発掘されて処分しました。同じようなアイテムでも、微妙なシルエットの違いで、今っぽくなったり、古く感じたりしますね。

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出典:WEAR
その時は、すごくおしゃれだと思っていたのに、数年経ってから見ると「何故これが流行っていたのか分からない…」というくらい認識が変化するのが、いつも不思議です。でも、トレンドとは関係なくMyスタイルを貫いている人への憧れもあります。

 

似合わなくなった服

これはもう当たり前なのですが、アラサーになり、20代の頃に着ていた服はちょっとキビしくなってきました。

・リボン
・チュール素材
・ガーリーな花柄
・パフスリーブ
・キラキラビジュー

など、可愛すぎる要素があるものはお別れ。こういうものも、大人っぽい&今っぽいあしらいなら、全然だいじょうぶなアイテムもあると思いますが…私自身が甘すぎるデザインは、徐々に好きではなくなったという事もあります。

 

ライフスタイルに合っていない服

ここまでの基準に当てはまらなかった服でも、今の生活にあっていない・次にいつ着るか不明、というものはフリマアプリに出しました。

・友人の結婚式で着たパーティードレス
・会社勤めしていた頃のハイヒール
・かごバッグなど、小さなハンドバッグ など

今は、2歳児と生活しながら在宅ワーク。特にヒールや、荷物が少ししか入らないバッグなど、使う機会はゼロになりました…。

まだ使えるものたちだと、もったいない気もしますが、それこそ流行遅れになる前に使ってくれる人に渡るほうが良いと思います。フリマアプリを使えば、お小遣いにもなるので助かりますよね。素晴らしい時代です。

ダサ要素を排除するのが、おしゃれの第一歩

こんなふうに、ダサい要素があるものはすべて処分。すると、レギュラー服だけがクローゼットにある状態が完成!

(※実際には、一気にダサ服を捨てると、明日から着るものがない、という状態になってしまうので、数ヶ月かけて徐々に捨てる・買い足すを繰り返しました。)

そうすると、これだけで以前よりも着こなしが垢抜けてきたような。おしゃれを目指す以前に、まずダサ要素を排除するのが大事だったんだと気付きを得ました。

 

垢抜けない服を着て生きてきました

今でこそ、ファッションやメイクが大好きな私ですが、最初からそうだったわけではありません。以前は「私が着飾るなんて分不相応だ」そんな感覚を常にうっすら持って生きていました。そう思うに至ったきっかけとして、思春期の出来事が2つ思い出されます。

いつまで鏡みてんの?

中学生の頃から、私は自分の容姿について、思い悩むことが増えました。そういう年頃だったんだと思います。いろいろ気に入らないけど、その日、特に目についたのは髪。ゴワゴワと硬いクセ毛で、量が多く、変なカタチにぼわーっと広がる。どうやっても雑誌モデルのような、サラサラストレートにならない。

美容室でストレートパーマをあてれば、シャキーン!と真っ直ぐになるのは知っていましたが、恐らく親はそんな事にお金をかけさせてくれないだろう。「どうにかならないのかな…」鏡の前で髪をとかしたり、分け目を変えてみたり。そんな事を繰り返していると、そばにいた母からひとこと、

「いつまで鏡みてんの?!」

けっこうな剣幕で咎められました。恐らく、先に宿題を済ませなさいとか、忙しいから少しはお手伝いもしてとか、母が言いたいのはそういう事だったと思います。ただ、瞬間的に私が認識したのは、

「見た目を気にすると、お母さんは怒る」

でした。実際、母も父も、服装などにお金をかけるタイプではありません。それなりに着れたら良い。人間は外見より中身だ、というような。

それから、自分も親になってみて気付いたのは、子の急激な心身の変化に戸惑いを隠せない、というような心情は少なからずあったと思います。「何を色気づいて…」という事も言われました。これスゴく嫌だったなあ。私は、子どもに同じこと言わないでおこうと思います。

このあとにも、似たようなことを何度も両親から指摘され、「おしゃれすると親になにか言われる」という意識が、私のなかで育っていきました。

こんな普段着みたいなの買ってきたの?

そんなふうに、年頃なのにおしゃれを半ば諦めるクセがついてきた頃。自分で服を選んで買う、というイベントが急に訪れました。習い事の発表会で着る、よそ行きの服を買ってくるよう、母に言われたのです。

「お母さんは、仕事があるからついていけないけど、自分で好きなの選んで買ってきて」

それまでは、母が選んだ服や、親戚に譲ってもらったお下がりを従順に着ていたので、
自分ひとりで、好きな服を買っていいなんて、すごく嬉しい!嬉しいけど。でも、実際に服を買いに行く段階になって困りました。どこに行って、どんな服を買ったらいいんだろう…?

とりあえず、我が田舎で一番大きいショッピングモールに出かけていき、長い時間ウロウロして、悩んで悩んで、私が選んだのは、ボタンダウンのシャツ・ニットのベスト・チノパンでした。

なんというカジュアルファッション。でも、当時よくはいていたサドルシューズに合うと思うものを探したらそうなったんです。まあ、コーディネートとしては、あながち間違っていない気もしますが、TPOに全然あっていない。あと、女のコっぽい華やかさはない。案の定、母からは

「こんな普段着みたいなの買ってきたの?」

と呆れられました。(母はおしゃれではないが、場にふさわしいかどうかは気にする。)この出来事は、「私にはセンスがない」という意識に変換され、「どうせ顔も田舎くさいし、もうどうでもいいや」と、おしゃれに対する気持ちを更に萎えさせました。

 

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出典:FASHION PRESS
こういうデザインの靴でした。従兄弟のお下がりでしたが、これはスゴく気に入っていましたね。でも発表会は、とてもかしこまった雰囲気だったので、キレイめなワンピースなんかを買うべきだったと思います。おしゃれかどうかはTPOによるところも大きいですね。

「外見より中身」の呪縛

社会に出てからは、自分のまわりの世界が広がり、さすがに「どうでもいい」という気持ちは薄れつつありました。が、思春期に刷り込まれた感覚が、完全に消え去ることはありません。

下積みが厳しい業界に就職したので、特に20代のうちは、慣れない仕事に追われ、気持ちにも時間にも余裕がない。ていうか、こんなに仕事ができないのに、服なんて選ぶ時間があったら勉強すべきなんじゃない?

美容室に行く暇があるなら、休日出勤して挽回しろって思われてるんじゃない?

ネイルなんて塗ってたら、ちゃんと家事してるか、お義母さんが心配するんじゃない?

夫が稼いだお金で自分の服を新しく買うなんて贅沢なんじゃない?

ばっちりメイクしてるくらいなら、子どもの世話しろって思われるんじゃない?

………。

「外見より中身」という、まあ普通に考えれば概ね正しい呪縛は、けっこう強力でした。「おしゃれしたい」と「おしゃれなんてしてる場合じゃない」両方の感情がせめぎ合い、結果として、なんだか中途半端な格好をしながら、結婚・出産を経て、気付けば30代。息子が1歳を迎え、授乳服を片付けたタイミングで、はたと気づくと…

着るものがない。

正確には、ないわけじゃない。でも、自分で素敵だと思える服が全然ない! 

おしゃれ・コンプレックス

ここまで綴ってみましたが、なんとありふれたエピソードでしょうか。

きっと誰だって、多かれ少なかれ、容姿に劣等感を抱く事はある。勉強・仕事・家事・育児・その他モロモロ…。みんなそれぞれに、やるべきことに追われ、忙しい毎日を送っている。使えるお金にも限りがある。

なんだかちょっと、親のせいで…という印象を与えてしまうかもしれませんが、恨んでいるわけではありません。基本的には、私のことを最大限サポートしてくれる人たちだったし、「外見より中身」を優先した時間は、私の業務上のスキルを確実に向上させてくれました。

でも、少し立ち止まって考えてみた今。劣等感からくる、自分の内なる声を他人にかぶせて、おしゃれできない言い訳をしている場合ではない。それこそ、これは外見だけの話じゃない。私の内面における、自立心の問題ではないか?私はもう立派な大人である。アラサーである。したいことがあるなら、好きにすればいい!

母の立場になったからこそ、息子を育てるのと同時に、自分自身の心を育て直さなくてはならない。やりたいことを、自らの責任において選択し、楽しむ心を。それは息子に「人生って楽しいよ」って身を持って示すことにも繋がると思う。

おしゃれな人は多分、考えていると思います。自分が何を好きか。どうなりたいか。どう生きたいか。そのためにどうするか。

おしゃれはトレーニング

そうは言っても、まずは息子が第一優先。今しかない時間を大切にしつつ、普段からちょっとだけ意識して、おしゃれについて見聞きしたこと、考えたこと、挑戦したこと、あれやこれやを、ごちゃごちゃと記録していこうと思います。

中学生のとき服選びに失敗したのは、ただやったことがなかったから。今の私から当時の自分に伝えたいことです。おしゃれの自立歩行を目指して、日々トレーニング!

 

コンプレックス(英:complex)
複雑に関連していること。複合的であること。複合体。

 

本来は「コンプレックス=劣等感」というわけではないらしいですね。